2017年10月、サンフランシスコ市内でのスナップ。
Ricoh GR(第5世代)の最期でした。この時すでに本体内に埃が侵入していて画像にノイズが目立っていました。さらにオートフォーカスも目立って劣化していて、後日立ち上げた時には使えなくなっていました。
これらの写真もプロファイルのモノクロにして埃の部分をLightroomでレタッチ。
この後日本へ帰省した際にGR2を購入。使い倒してますが、GR3が出てしまって…来月帰省する時に買ってしまいそうです。
今回は写真やカメラのお話ではなく、自分の生活や趣味を支える仕事について書きたいと思います。
(たまにこんな事もつぶやきますが、よろしくお付き合い下さい。)
職業はソフトのQA(クオリティーアシュアランス=品質管理)エンジニアをやっています。コンピューター工学科専攻で大学卒業後、ソフト開発エンジニアをやっていましたが、あるきっかけで開発ではなく、開発されたものの動作を検証する側に仕事を変えました。
正直言って開発エンジニアはストレスが溜まる仕事でした。意識のどこかで自分は優秀な開発エンジニアではないことを知っていたからでしょう。ユーザーさんたちへ向けてリリースする前にソフトをテストして、バグを見つけ、バグ修正を確認する。その方が能力的にも性格的にも向いてると思います。
開発エンジニア期の経験があると、開発・テスト両方のものの見方や相互間のコミュニケーションの効率的な方法なども見えてくるので、その点で上司に信頼されたりもします。
テストエンジニアの報酬は常に開発エンジニアのそれ以下です。品質管理課のマネージャーにでもなれば追いつけるでしょうか。それでも向いていない仕事を劣等感を感じつつストレスを溜め続けるよりはずっと気が楽。そこで線を引いてしまって自分の領域を確立し、周囲にもそれを認めてもらえば、日常の生活を楽しむ心のゆとりも出来ます。
そういう生活は時には忙しい時期があっても持続性があり、自然にキャリアも長続きする、そう考えています。
つい先日気づいたのですが、IT業界で開発エンジニアがテスト側に転職するケースが増えているようです。このトレンドの原因や理由は知りませんが、想像するにその中にはより高い報酬や肩書きよりも自分に向いた仕事を選んでいる人、年齢的な理由で転職する人などもけっこういるんじゃないかと。
数年の経験を積むと「小さなチームをまとめてみないか?」と管理職へ昇格の打診を受けるようになりました。それも苦手です。一度管理職になったことがありますが、部下を持つと年棒やボーナスなどインセンティブは跳ね上がります。しかしそれも自分には向いていないと認識した後、そのような打診を受けた時はいつも「オレから100%引き出したかったら部下は居ない方が良いよ」と丁重に感謝した上でお断りしてきました。
リタイアを意識するようになったこの歳になっても部下は一人も居ません。人間関係のストレスもないし、人をまとめたり予算や経費の計算をしなくてもいいし、部下をリストラしたりすること(経験あり)もないわけです。
師匠が居ない職人さんのような感じですね。
ここ数年、何人かの上司の下で働いてきましたが、彼らはすでに自分よりはるかに年下の働き盛り。そんな上司とのつながりを考えてみると、昇格はしないけれど、長年の業界・職場経験に基づいて若い上司に助言したりしていて、その点で重宝されているんじゃないかと勝手に考えています。
ラッキーなのは以下の点ではないだろうか:
性格上、このような環境が無ければ今頃どうなっていたんだろう?それを想像するだけでも恐ろしい気がします。事実、日本では性格と周囲の環境、特に職場環境が合わないことで大変苦労されておられる方々が非常に多いようです。
おかげで長年淡々と仕事をこなしながら楽しい個人生活を送っています。もっとも、何も問題が無い生活とは違います。人生、誰にでも例外なくいろいろあります。念のため。
先日購入したKonica C35 Flashmaticが北アメリカ大陸西海岸上陸を果たしました。
小型で軽く動作もシンプルで分かり易いので自分のような初心者にはピッタリだという印象です。でも安っぽさは感じません。薄手ながらもきちんと作ってあるという印象です。
モルトの消耗が気になりますが、その劣化の具合を試す意味も合わせてまずはフジフィルムのC200を入れて撮り始めています。
今のところ36枚のうち15枚撮っています。この「即座に撮った絵を見る事が出来ない」、「1ロール撮り終えるまでは現像が出来ない」というモードは20年以上忘れていたものなので、少々違和感はあります。
でもウキウキ感が止まらないですね。
反面、現像するとなってこのカメラで撮った絵にハマってしまうとどうなるのか、という心配も少々あります。「沼」かも知れないぞ、と。