今日発掘したX10で家の近くにある八重桜を撮っていた時、
ふと思ったのは桜を撮る構図の背景について。
SNSなどで日本発信の桜の写真を観ていて感心するのは
周囲の背景が見事に桜とマッチしていて
そのバリエーションも豊かなこと。
桜を植える場所の選択だったり、
すでにある桜の木を映えさせるような光景に作り上げたり。
どちらにせよそこには日本人の美的感覚に基づく
クリエイティブな作為があるように思う。
日本庭園、川や水路の土手、城の堀、寺社の参道、並木道…
アメリカの場合、そういう周囲との相性や
遠目で観る情景、建物との関連性などは全く感じられず、
ただランダムに「ここが良い」と植えたのだろうと。
例外のひとつは首都ワシントンの桜並木。
あそこでも「桜祭り」が開かれて今年も数万人を動員したらしい。
ニューヨークやボストンあたりでもありそうだな。
周囲との相性が悪いと、撮ろうとする時に
どうしても寄って撮ることになってしまう。
あと、桜の木そのものの形も。
日本では一本一本盆栽のように自然と人のコラボが見える。
アメリカでは伸び放題で邪魔になったらその部分だけ切る。
まぁなんて乱暴な。
花自体はなかなか見事なんだけどなぁ。
なので前回のエントリーと今回の写真でもお分かりのように
背景との渋い絡みなどを考えながら見ても合わないものしか無くて
結局寄って撮ってアメリカらしくドーンと。
「チェリーブロッサムでっせ!」