「天国への扉をノックする」ってどういう意味だろう?
死にたいってことなのか?
精神的に圧迫されて無意識のうちに頭の中に居座っているものなのか。
自己破壊的な行動に憧れたり実行することか。
あるいは心の病?
三島由紀夫のような美しき死への憧憬か。
ボブ・ディランの「Knockin' on Heaven's Door」には歴史的背景がある。
ビリー・ザ・キッド。
21年の生涯で21人を射殺したと言われる米国西部開拓時代のアウトロー。
殺人と強盗と脱獄を繰り返した短い人生だった。
ディランは彼の死際の心情を歌った。
「俺の手から銃を取り上げてくれ、もう…もう撃てない…」
自殺をする人たちの多くは家族や愛する人や知人に手紙を残す。
心中で天国への扉をノックしながら。
ケヴィン・スペイシー主演の映画で「Shrink」(2009年)という秀作がある。
自殺した妻を忘れられず、何故?と問い続け悩む心理テラピストのお話。
邦題は「精神科医ヘンリー・カーターの憂鬱」。
「自ら命を断つ人たちは手紙は残すけど、『何故そうするのか』は書かないものだよ。」
自身、妻の死を払拭出来ない彼が心を病む患者に言う。
幸い、自分は今は死にたいとは思わない。
第一、自ら…は無理。
まだ会って話したい人が多くいる。
まだ楽しみたい事もたくさんある。
まだ行きたい場所も世界中にある。
今の時代、それ自体が恵みだよね。
【写真と文章の共通点は「扉」だけです。あしからず。】
今日もソーシャル・ディスタンシング|社会的距離を置いて。
生きよう。
2015年3月 サンフランシスコ、ミッション街
Sony RX100M3